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マリン・ドルジッチ劇場
[DateFrom]:
01.01.2010
ドゥブロヴニクにおける最初の演劇の上演は、ルネサンス時代です。
 マリン・ドルジッチ劇場
その頃の演劇は、家や道などで上演され、最もよく使われたのは、総督邸の前にある広場でした。

古くなった船舶修理工場、オルサンは、17世紀の終わりから1808年まで、最初の屋内劇場として使われました。ドゥブロヴニク共和国が崩壊すると、機能を失った大評議会の建物で演劇が上演されました。これは総督劇場を呼ばれ、1809年から、1817年に火災が起きるまで使用されていました。

オーストリアが統治する時代の1823年から1864年、ゴッツェ(グチェティッチ)の家を劇場に整備し、演劇が発展しました。今日、マリン・ドルジッチ劇場となっている建物は、1865年、ルコ・ボンダ(ボンディッチ)の資金により建設されました。ボンダの劇場と名付けられ、第二次世界大戦までこの名前で呼ばれていました。

ドゥブロヴニク国民劇場となった1944年から、プロによる演劇を上演する劇場となりました。ドゥブロヴニクの大作家、マリン・ドルジッチ没後400年を記念して、今日の名前がつけられました。マリン・ドルジッチ(1508年ドゥブロヴニク生まれ、1567年ヴェネチア没)は、最も著名なクロアチアのルネサンスの喜劇作家です。

ドゥブロヴニクの劇場の絵の描かれた柱は、ヴラホ・ブコヴァッツ(1855年ツァヴタット生まれ、1922年プラハ没)の作品で、クロアチアの現代芸術の基礎となったものです。1901年に柱に描かれた作品のテーマは、“天と地、両方で二回即位すること”です。また、劇場の幕は、ドゥブロヴニクの町の生活をモチーフにして、現代の芸術家、マトコ・トレボティッチにより、2008年制作されました。今日、マリン・ドルジッチ劇場には、50人のスタッフが活躍し、そのうちの15人は俳優です。

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Knez1